
知的障害のある息子を育てるようになってから、障害児・者について書かれた本をよく読むようになりました。実用書や体験記だけでなく、小説も読みます。フィクションだからこそ見えてくる感情や、言葉にしづらい空気感がある気がしています。
最近、小説「けんちゃん」を読みました。特別支援学校高等部に通う、ダウン症の「けんちゃん」と関わる人たち(寄宿舎の職員、新聞記者、コンビニ店員、同級生など)それぞれの視点から描かれる連作小説です。
著者のこだまさん自身、特別支援学校で働いていた経験があるそうで、登場人物たちの戸惑いや距離感がとても自然でした。小説ではあるのですが、「こういうこと、実際にあるよな」と感じる場面が何度もありました。

特に印象に残ったのが、主人公のひとりが、「姉の障害を自分のアピールポイントにしていた」と気づき、苦しくなる場面です。障害のある家族について語ることは、「理解してほしい」という気持ちと、どこかで利用しているような感覚が隣り合わせになることがあります。
私自身、職場で働き方を調整してもらうとき、子どもの障害について説明することもあります。もちろん必要な説明なのですが、「私は子どもをダシにしていないだろうか」と、ふと苦しくなる瞬間があります。だからこそ、主人公の葛藤は他人事とは思えませんでした。

知的障害のある人と日常的に接していない人にとっては、恐怖の対象になったり、悪意を向けられたりすることもある。終盤にでてくるこの言葉がずしんと響きました。
「恐怖を与えてしまった兄のことは嫌いになってもいい。でも、兄を障害者のすべてだとは思わないでほしい。」
障害児・者という言葉で一括りにするのではなく、一人ひとり違う人間として見てほしい。これは、障害児を育てる親として、私も願っていることです。「けんちゃん」は、障害のある人たちへの“解像度”を少し上げてくれる本でした。読み物としてもとても面白く、一気に読めました。おすすめです。
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